こんにちは、Yasusan です。
来月の9月16日、僕の母の3回忌をむかえます。
僕は2年前に、母を亡くしました。
父はもう22年前に他界しています。
父は戦争で11年軍隊に、
10才年がはなれた母も終戦のときは、
青春真っ只中であり、2人が結婚したのは
それから、15年以上もたっており、
姉がひとり、ぼくが生まれたのも、
2人が、かなり年をとってからの子供でした
そんな時代の、自分が遊ぶ事など全く
考えなかった、真面目な2人に、
決して裕福ではなかったですが、
何不自由なく、育てられた、僕は
幸せだったと思います。
父が亡くなる、直前に、
僕は、離婚し、嫁、子供と離れて暮らしていて、
(親不孝者!)
その頃から、母と2人ぐらしを始めていましたが、ひざの弱い、母が、年々、徐々に足が衰え、押し車でひとりで、行っていた買い物も、危うくなり、
週に一度、2人で一緒に行ったりして暮らしていました。
そんな足の不自由な母は、必ず昼のお弁当
晩ごはんはつくってくれてたんですね、
そんなある日、母は、風邪をこじらし肺炎に
かかり、入院することに、、
そして1ヶ月の入院生活で寝ていた為、
それ以降は、一人で歩くことが、全くできなくなりました。
そして、
僕の、自宅での母の介護が始まりました。
イラストは
その時のようすを
Kuroさんが描いていたものです。
では、はじまり、はじまり〜 🤗
☆ばあちゃんと息子っちの物語
ばあちゃんはとてもしっかりとして、自分でなんでもやり、人に頼るのが好きではない人でした。
そんなばあちゃんも年にはかないません。
これから始まるばあちゃん介護。
晴れ時々くもりな感じつづります
*太郎♪さんの介護
ばあちゃんは90歳。
要介護5で寝たきりです。
太郎さんと二人暮らし。サラリー
まん。
ばあちゃんは、1年前まで台所立っ
て太郎さんの弁当作ってた。
けど太郎さんいらいら。
弁当は食べれたもんじやなし。
台所は汚れまくり。
太郎さんは💨ため息
*
太郎さんの介護
仕事から帰るといつもこの状態。
お疲れの中だとイライラもします。
ばあちゃんは見えてなかったんです。塩をこぼそうが鍋焦げようが
本人は知らないんです。
ばあちゃんに弁当作らなくていいよって、太郎さんがいくら言っても
ききませんでした。 そして、 夏ばあちゃんは入院したんです。
☆
太郎さんの介護
ばあちゃんは入院して3日間はおとなしく過ごしてました。
それ以降は何かにつけて「家に帰る」と必死になって訴え続けました。ばあちゃんの思い、家族の思い、医者の立場で…。
ばあちゃん、家でどうやって過ごすの?と太郎さんは怒ってるばあちゃんを横目で考え中、考え中
☆
太郎さんの介護
う~んう~ん、どうしたもんかと…
この事態は…。
これまで…太郎:ヘルパーさんとか来てもらおか?
ばあ:そんなもんいらん、私が全部する!
太郎の心:はぁ?できてませんけど!
太郎:歩くのもしんどくなって、信号もわたるの難しいし…ごはん作るのも…
ばあ:大丈夫大丈夫、ベッドなんかもいらんよ。
入院中のばあちゃんのご様子
全介助、歩けません、食べれません、オムツです。太郎さんはこのばあちゃんの状態と介護という現実をまだ想像もできず受け入れもできずです。
でも太郎さんは思うんです、ばあちゃんは家に帰りたいんやなーと。
太郎さんの介護
♪めでたく退院を手に入れたばあちゃん。ばあちゃん会議が持たれたわけですね。ケアマネさん、病院さん、家族さん、ばあちゃん。ばあちゃんはまだ「私が何でもする、一人でできる」と要介護5全介助なのに。助っ人として弟の嫁が少し手伝うということでした。が介護保険だけではサービス足らず…。
太郎さんお仕事あるし、ばあちゃん、寝たきり、オムツ、一人で食べれず…これ現実。ばあちゃん相変わらず「私作るよ」と言っとります
☆太郎さんの介護
ばあちゃんの退院とともに太郎さんの不安はつのります。
日々はヘルパーさんのお力をかり…大変!ヘルパーさんの資格があるわけでなく、なのに車イスに乗っけたり、オムツ替えたり…できませんよ、でもしないといけないんだから
。太郎さんの 思いは伝わります。
さて、これからどうなることやら、
続きは次回へ、
じゃまたね、 Bye Bye 🤗